1942年生まれ
日本のゴルファーで、初めて「世界の」と呼ばれるようになったプロである。
そのきっかけは、帝王ジャック・ニクラウスが「アオキの小技は素晴らしい。100ヤード以内からのショットだったら、間違いなく世界一だ」と、プレスインタビューで語ったから。
1980年の全米オープンでのこと。
ニュージャージー州バルタスロールで行われた80回目の全米オープンで、青木は4日間ともにニクラウスとペアを組んだ。
そして、この2人が最後まで一歩も引かずに優勝を争い、両者が全米オープンのトーナメントレコードを樹立するという歴史的な死闘を演じたのだ。
翌年からアメリカPGAツアーのプロとして、アメリカツアーに参戦。
3年後のハワイアン・オープンで実を結ぶ。
それも72ホール目の「逆転イーグル」という派手な勝ち方で・・・。
独特のパッティングスタイルと、気取らずに誰彼なく友達になってしまうキャラクターで、アメリカを始め世界に多くのファンを持つ青木は、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア(もちろん日本も)でも優勝。
「世界の4大ツアーですべて優勝する」と言う、ニクラウスでもできない記録も作ってしまった。
近年はジュニアゴルファーの育成やゴルフコースの設計・監修にも力を入れている。
1997年6月に「青木功ジュニアクラブ」を設立。
ジュニア育成といえども、プロ・競技志向、スコア重視の流れの中で、ゴルフの楽しさを知ること、挨拶やルール&マナーの遵守に重きを置く指導方針はとかく目を引き、青木ならではと言っても過言ではないであろう。
2004年、これまでの国内外での活躍が認められ、世界ゴルフ殿堂入りを果たす。
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