1976年愛媛県生まれ。
松山商業高校時代に陸上を始める。
松山大学時代も無名だったが、三井住友海上入社後の00年、名古屋国際で実質初マラソン2位に入り、同年11月、東京国際2位で01年エドモントン世界陸上代表となった(銀メダル獲得)。
翌年のロンドンで自己新記録をマークした後故障が続いたが、04年名古屋では驚異の粘りで自身初の優勝を果たしてアテネ五輪代表に、同五輪では5位入賞を果たした。
同年、松山大学陸上部先輩と結婚し登録名は旧姓・土佐のまま夫は松山、妻は東京と別居しながら2人の夢である北京五輪でのメダル獲得に向けて五輪再挑戦のスタートを切った。
06年11月の東京国際は2年8か月ぶりのフルマラソンで優勝、大阪世界陸上で猛暑の中粘って銅メダルを獲得した。
北京五輪では長年の疲労から右足外反母趾に痛みが出て、25.2㌔地点で、初の途中棄権となった。
現在、09年3月の東京マラソンへの出場を決め、故郷・松山に帰ってトレーニングを積んでいる。
好きな言葉は「大丈夫」