抜群の身体能力を活かしたフライング・ニー(飛び膝蹴り)を得意とすることから、“フライング・ジェントルマン”の異名を持つレミー・ボンヤスキー。
モデル、銀行員というキャリアもさることながら、01年のK-1デビュー戦で、レイ・セフォーをTKOで破り、一気に脚光を浴びる。
すると、高いディフェンス技術とコンビネーションで03年、04年とWGPを連覇。
K-1新時代の到来を予感させた。
だが、それ以降はプライベートの不幸も重なりスランプに陥ってしまう。
しかし、07年に待望の復活。
08年に入ると全盛期を思わせるキレを取り戻した。
勢いに乗ったレミーはWGP決勝大会で決勝戦に進出。
バダ・ハリの反則というアクシデントはあったものの、見事に3度目の世界王座を獲得している。 |